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記事: ORIGIN OF GHEE

ORIGIN OF GHEE
1GHEE

ORIGIN OF GHEE

絵図:約4000年前のエジプトの壁画に描かれた搾乳の様子]

ギーやバターの源、生乳は、メソポタミアの〝シュメール人〟(未来人や宇宙人といった説が多くある不可思議な民)たちから古代エジプト人へと伝えられ、牛から乳をしぼり、それを飲んでいたことを示す壁画やレリーフ(浮き彫り)が残されている。

今からおよそ5000〜6000年前、メソポタミア(現在のイラク周辺)では、シュメール人たちによってすでに牛が飼育され、牛乳が飲まれていたことが読み取れる。
その後、旧約聖書には「かくてアブラハムは
バターを取り、乳を取り…」という一節があり、新約聖書、イスラム教、仏教においてもそのような乳に関する記述や物語がいくつか記されている。
乳製品は地球外や未来からの
特別な命の恵みなのかもしれない。。

バターは、ケルトやヴァイキング
など、牧畜の盛んな諸民族へ伝わり、14世紀にかけてはオランダ、スイスへも広がっていった。しかし、南ヨーロッパでバター
は普及しなかった。
オリーブオイルの普及や、
温暖の地域では保存しにくかったこと。特にその当時はブトゥルム(牛のチーズ)は野蛮人の食べ物と見られていたことなどが挙げられる。肌に塗る薬や化粧品、潤滑油としてごく一部で使われていた。

イタリア
の料理書にバターが使用されるのは、15世紀になってからである。
フランスで本格的に食用にされると、ようやくイタリア
貴族もバターを食べ始めたといわれている。
こうして、エジプトからヨーロッパ、そして世界各地へと伝わっていく。
古代
アラビア・ローマ時代には、食用、化粧用、薬用、宗教祭儀の灯明や供物、火祭りなどに用いられた記録が多い。

日本にバターが入った古い記録では、645年(飛鳥・奈良時代)に中国から唐代の乳製品の酥(そ)や酪(らく)や醍醐
(だいご:一種のチーズのようなもの。もしかしたらギーの可能性も?)などが仏教伝来とともに伝わったとされている。
のちに、その希少で特別なおいしさから「醍醐味」の言葉が生まれたとされる。

◉ 乳製品の歴史
○ 紀元前3500年ごろ:古代メソポタミア
 粘土板文書のなかに牛乳からバターのようなものを作っているような絵の板
 (イラク国立博物館)

○ 紀元前2000年ごろ:古代インドの経典
 サンスクリット語ではギーのことをという ghritaは経典に書かれている

○ 旧約聖書
 「かくてアブラハムはバターを取り、乳を取り…」という一節がある

○ 紀元前500年ごろ:ギリシャの歴史家へロドトスの歴史書『歴史』
 黒海北岸(今の南ウクライナ)に住む遊牧騎馬民族スキタイ人が「馬や牛の乳を木の桶に入れ
 (奴隷が)激しく振動させ 表面に浮かび上がった脂肪部分をすくい取ってバターをつくった」
 と記述

○ 古代アラビア時代:ローマ
 食用・化粧用・薬用・宗教祭儀の灯明や供物・火祭りなどに用いられた記録がある

○ 600〜700年代ごろ(奈良時代):日本にバターが入った古い記録
 中国から唐代の乳製品のややなどが仏教伝来とともに伝わったとされる
 当時日本で醍醐(チーズやギーに似たようなもの)が作られたかは不明

○ 1630年(寛永7):平戸オランダ商館の日記に日本にバターが入った記録

○ 1727年(享保12):徳川8代将軍吉宗時代
 オランダからインド産の白牛3頭の献上を受け(千葉県)で「ぼうとろ(餅バター)」
 「白酪牛(はくぎゅうらく」を作った
 (牛乳を煮つめて半固形化した乾燥した団子状のもの:削って食べたり湯に溶かして飲んだ)

○ 1848年(嘉永1):西欧
 樽形チャーン(攪乳器:churn)の発明

○ 1874年(明治7):北海道函館の七重農事試験場
 アメリカ人エドウィン・ダンの指導のもとバター製造が行われる

○ 1878年(明治11):西欧 連続クリーム分離機の発明

○ 1880年(明治13):西欧 動力チャーンの開発

○ 1925年(大正14):北海道 北海道酪連の佐藤らが木製チャーンを使用して生産を開始

○ 第二次世界大戦後 工業が急速に発達し一般化
 バターはヨーロッパの中世ではまだ贅沢な食品であった 
 近世になってようやく北ヨーロッパ諸国で量産され急速に世界に工業化が進んでいく

監修 ヨガ栄養士&マクロビオティック愛好家