ヒマーチャルプラデーシュ州のスピティ谷。
スピティはチベット国境にある、ラダックと同様のチベット文化圏。
標高3900m。
空は青く、雲は白く、畑は翠、ヒトも笑顔で全てが暖かい。
標高3900m(富士山3776m)であるから食料も豊富にあるわけでもなく、気温もかなり寒く過酷な環境。
そんな彼らは
毎日の食事の30%は
① チャイ(茶葉のビタミンC補給とエネルギーの砂糖)
② ギー(脂質10種類以上含有)
この食生活にはとても考えさせられるものがある。
まずはじめに砂糖である。
現代では白砂糖過剰摂取により体に悪影響を起こすのは明確だが、飢えの時代の過酷な環境下では、現代で悪とされる白砂糖でさえも貴重なエネルギー源となるということ。
つまり、世にあるすべては善にも悪にもなる、もとより真実はぼんやりとしたものであるということ。
いつの時代も、人類立場からの白黒判然にこそ誤りがあると反省する。
次に、本来ギーは、作物も育たない過酷な環境で、明日を生き抜くための命の恵みということがスピティ谷の様子からも垣間見れる。
傷に塗ったり、肌に塗ったり、ギーをいただいたり。。
ギーがないと肌がカッサカサにどうやらなるようである。
動物の命との共存の中で育んできた生きる智慧。ギー。
スピティ谷の人々にとって、ギーは「動物性、畜産、酪農」に含まれるからといって、
いただく、いただかないなどある意味恵まれた議論などしてる余裕はない。
つまり、明日を生き抜くための過酷な環境下では、悪ではなく自然なことということは実は多いことに気づかされる。
私たちが当時、完全にVEGANとして生きていた中でひとつだけ違和感を感じていたことがある。
それは
「乳製品はその動物の子のための乳であるから人間がいただくものではない」である。
この問題は、
「食べるために生きる」
現代の人間欲望を満たすがための犠牲的環境の拡大が問題であって
※ 「食べるために生きます」と言う人を否定しているわけではない。
私もその一人である。
「生きるために食べる」
飢えの時代、過酷な環境においては、動物の子供のための乳であるからといって、飲まない選択の歴史は見当たらない。
動物性を禁ずる宗教を除くが、宗教で禁止されていてもギーやドイツ圏のシュマルツ(動物性の脂肪分)だけは認められた歴史がある。
なぜなら過酷な大地で、生きるためには必要な選択であったからだ。
家族や民族が生き延びるためにいただいていた乳やギー。
そこには一切の虐待も見つからない。
むしろ、生死と真剣に日々向き合っているからこそ、時に、神々の山嶺に祈りを捧げ、家畜を年に数頭糧にする。。
「すべての生き物は 生き物を食べて生きている
生き物を食べるものをまた 食べ物として生きている」
--アタルヴァヴェーダ・ブラフマナ聖典--
監修:ヨガ栄養士&マクロビオティック愛好家