一粒の米の中にも宇宙がある。
太陽の光、水の流れ、土の微生物、風、つくる人、売る人、運ぶ人。。
無限に広がる縁起がそこにある。
私たちはすべてと繋がり、関わりあって、毎日目の前の食事、命の循環をいただいている。
「いただきます」は目の前の命をいただくこと。
自分の命が生かされているのは、目の前の食事のおかげである。
という意味を込めて毎日私たちは手と手の氣を整え真っ直ぐな「いただきます」を言霊にしている。
一つの例えをご紹介する。
気づきのことをインド哲学から引用して「火(アグニ)」と例えてみる。
アグニ(agni)は、インド神話の火神のこと。
① 瞑想 = 鍋
② 心 = 具材
③ マッチ(火) = 気づき
◯ 料理は瞑想
まず瞑想である鍋を置く。
どっしりと重く、安定感に優れている鍋。
その感覚でどっしりと坐る。
次に、動きのある心である具材を水の入った鍋に入れていく。
坐り始めると、色々な思いがあなたの心に飛び込んでは消えてを繰り返す。
最後に、調理するもの、それが「火」だ。
気づきとは、火を点火するマッチがどこにあるのか智(し)るようなもの。
その火によって具材の味の調理、真の人生がスタートする。
心が見直され、調理され、味わい深い心の持ち主へと変化する。
味が染み出し、鍋の味が調和されるのと同じように、「気づき」の火によって具材つまり心が浄化されあなたの人間性が整っていく。。
インド哲学では火のことをアグニと呼び、五元素の一つ、「火」の力は純粋なものに浄化する力があると信じられている。
日本刀も、火を加え鍛え叩いていくと不純物が取り除かれることによって、強靭でしなやかな刀が出来上がるのと同じこと。
このように火は科学的・物理的にも不純物を取り除き、ピュアで強靭なものに変える力があることで知られる。
だから、フィジカル面において、日々の運動、ヨガで体に熱や火を生み出し、体を浄化することで心も浄化されていくことを実感できる。
メンタル面においては、瞑想を一日5分でも行う習慣をつくることによって、気づきの火がバランスのとれた良い火加減になり、具材である心がグツグツとゆっくり、丁寧に整っていくことになる。
瞑想の向こう側にある間の原理を感じること、気づきを得て真理・自然の摂理を認知することで、火加減をコントロールできるようになる。
時に強火にしたりも出来るが、基本的に常に火加減を弱火に一定に保つことができるようになる。
そうすると、味わい深い人生へと変わっていく。
例えば、玄米を釜戸か土鍋で焚く際に、薪やコンロの火加減を強火から弱火でぐつぐつ焚くことによって、信じられないほどの玄米の甘み、糖分、おいしさを引き出していくようなもの。
瞑想とは、火を点火するマッチがどこにあるかに気づくようなもの。
それに一度気がつけさえすれば、マッチ一つですぐに加熱調理が出来るようになり、料理の効率、人生の効率が一段と高まっていく。
素材が美味しくなって、人生が味わい深いものになっていく。
人生が味わい深いものになれば、それをいただく周りの人も心と体が満たされ、よりしあわせな人生へと好転してゆく。